何度も自宅を新築してきた私だから気づいたこと

これまで住むことのない誰かの存在を

微妙に意識して新築してきました

①同居していない両親

②親族(自立した我が子、兄弟ほか)

③友人

④ご近所さん

この人が来た時はこの部屋で○○しよう!

もしもの間取りや動線…考えていました

令和という時代に突入し、今までの【ふつう】は変わりました

上にあげた方々が我が家に来る回数は?

365日中10~20日程度...

その主な訪問者は②の我が子のみ

他の方々は万が一来たとしても玄関先まで

今まで富山県民の住まいに求めるものとして

両親、親族、友人が来た時に泊まれる部屋

友人とお茶を飲んでくつろげる部屋

そこからトイレまでの動線の確保

そんな流れを組むのはふつうで間取りに結構な無駄がありました

ですが時は令和

自宅には誰も訪問してきません笑

我が家だけでしょうか笑

どんなに仲良しでも親族でも

外で会っていませんか?

おしゃれなカフェやファミレス

男性なら近所の居酒屋さん、趣味の場

私の友人もみんな家を購入し持っていますが

たまに会おうぜ!となっても誰かの家で飲み会することはなく

妻もカフェやレストランを利用して友人と楽しんでいます

同居の我が子も現在の家に一度も友人を招き入れたことはありません

↑↑↑ちなみに友達はたくさんいます笑

今では子連れで楽しめる場も増え誰かの家に集合!ということは無いそうです

なぜ他人の家に行かなくなったのか?

呼ぶ方もお邪魔する方も面倒だからです笑

呼ぶ側は部屋の掃除、行く側は手土産...面倒です

そして他人の侵入を考えなくてよくなった家はどんどん進化

家族の少しのプライベートさえ確保すれば

ストレスフリーな居心地のよい空間になりました

大事な書類も広げたまま、見られたくない普段着でもウロウロ

気が抜ける空間はストレス社会には必要です

亡くなった家族やペットの遺影も昔は誰も寄り付かない座敷にありましたが

今では家族が集まるリビングにその存在を置き

いつでも家族の輪の中で感じることができます

何ひとつ追いやる必要はありません

自分たちの日常、暮らしやすさのみ追求できます

私達は様々な場面で【ふつう】という言葉に縛られて生きてきました

世間の【ふつう】から解き放たれつつある今

せめて我が家で過ごす時間だけでも

自分たちの思い通りに過ごしたいですよね!

マイホームが本当の意味でやすらぎの空間になってきた!

安らげる場所には自然と帰りたくなります

安い、古い、新しい、店舗住宅...色んな形がありますが

誰の視線も世間体も気にせずにマイホームを自由に楽しみましょう\(^o^)/